no title

1: 名無しさん 2017/03/02(木) 02:44:48.009 ID:bZGAqGspM
立ったら書く

3: 名無しさん 2017/03/02(木) 02:45:50.393 ID:bZGAqGspM
実社会では分かりやすいこと、明確であることが求められるらしい。

それでも言い切れるのは、世の中には曖昧さを持ってしか話せないようなこともあるということだ。

そしてその中にこそ、本当に大事なものがあるんじゃないだろうか。

あの頃、そんな曖昧さを求めて逃げ込む場所があった。

商店街の中にある小さなバーだった。

4: 名無しさん 2017/03/02(木) 02:46:01.082 ID:+FtScdSW0
カウンターで隣合った客とどう会話に持っていくのか

12: 名無しさん 2017/03/02(木) 02:51:52.576 ID:bFkDEHfo0
>>4
相手も常連ぽかったら普通に話しかけるよ

5: 名無しさん 2017/03/02(木) 02:46:20.236 ID:bZGAqGspM
ジャックジョンソンがいつまでも流れていて、マスターは無口だったが、綺麗な店だった。

明け方まで飲める店は少なかったせいもあって、僕はよくここに通っていた。

この店で仲良くなったひとがいた。

中学二年生の息子がいるのに、いつも朝まで飲んでいるひとだった。

6: 名無しさん 2017/03/02(木) 02:46:41.568 ID:11zEfKrX0
悪くない

11: 名無しさん 2017/03/02(木) 02:51:09.683 ID:bZGAqGspM
>>6
ありがとう。

7: 名無しさん 2017/03/02(木) 02:47:02.991 ID:bZGAqGspM
酔いがまわると、変わった言葉を使うひとだった。

よく「死にたくなくなりたいね」と言っていた。

分かりづらい言葉だった。センテンスもややこしいし、なんでそんなことを言うのかも知らない。

8: 名無しさん 2017/03/02(木) 02:47:50.953 ID:bZGAqGspM
感嘆文なのか疑問文なのかもハッキリしない。

でも僕は彼女がどこに行きたいか、どうしたいのか、なんとなく分かるような気がした。

分からないけど、分かるみたいな感覚だった。

9: 名無しさん 2017/03/02(木) 02:49:19.198 ID:bZGAqGspM
人の親なのに、限界まで飲んでいたり、いい歳なのに変なことばかり言っていたりと、一般的に見れば、堕落したひとだったのだろう。

だけど、僕はそのひとの話を聞くのが好きだった。

10: 名無しさん 2017/03/02(木) 02:50:46.475 ID:bZGAqGspM
「人の親」とか「年齢」といった道徳観、倫理観のカタマリのようなアイテムを携えているのに、思春期の少女みたいにもがく姿は、新鮮だった。

少なくとも二十歳になったばかりの僕には新しかった。

13: 名無しさん 2017/03/02(木) 02:52:22.173 ID:bZGAqGspM
ある夜、僕はずっと飲んでいた。

ひとりで日本酒を開けて、気がつくと朝焼けが東の空ににじむように広がっていた。

それなのに全然飲み足りなかった。

もっと飲まないといけなかった。居場所を求めるように、僕はまたあのバーの扉を開けた。

14: 名無しさん 2017/03/02(木) 02:53:22.287 ID:wskujn4cM
「テツさんは顔がいいからいいよね」

客は彼女ひとりだけだった。

バーカウンターの真ん中で、彼女はロックグラスを傾けていた。茶色の粘性の液体が少しだけ口に触れた。

15: 名無しさん 2017/03/02(木) 02:54:09.768 ID:wskujn4cM
意味の分からない日本語に、街中ではかからない洋楽、話を聞いているのかさえ分からないマスター。

扉の外と中で、世界は完全に遮断されていた。

外の世界で通用しないものがすし詰めにされているみたいだった。

19: 名無しさん 2017/03/02(木) 02:56:15.734 ID:wskujn4cM
「ビールください」

テツさんはチラリとだけ僕を見ると、無言でビールグラスを用意し始めた。ハイネケンのサーバーから泡が注がれていく。

出来上がるのを待っていると、彼女が話しかけてきた。

20: 名無しさん 2017/03/02(木) 02:57:13.071 ID:wskujn4cM
「ねぇねぇ今いくつなん?いくつになりたいん?」

何度も会っているのに、なぜか知らないひとのように話しかけてくる。

このひとと会うとセーブのできないロールプレイングゲームをやっている感覚に陥る。

21: 名無しさん 2017/03/02(木) 02:57:40.948 ID:wskujn4cM
「歳は言いたくないんですけど、いくつになりたいってどういう意味ですか?」

「また、そうやって難しいこと言う。だからモテへんねんで」

今度はやけに僕に詳しいようなことを言う。

22: 名無しさん 2017/03/02(木) 02:58:05.931 ID:wskujn4cM
正直、彼女が僕のことを覚えているのかいないのかさえ、分からなかった。

酒でまともな会話ができなくなっているのかもしれない。でも、やはり僕はこのひとが嫌いではなかった。

「はい。五百円」

テツさんの低い声と共にビールがやってきた。一杯ごとに支払うシステムだった。

僕がサイフを取り出そうとしたそのときだった。

23: 名無しさん 2017/03/02(木) 02:59:26.425 ID:wskujn4cM
「いいよ、出したげるから。はよ飲み」

「いや、別にいいですよ」

「いいから!」

そう言って彼女は千円札をバンとカウンターに叩きつけた。歌っているジャックジョンソンもビックリするような音だった。

25: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:00:34.564 ID:wskujn4cM
「これでわたしにもビール」

彼女のビールが出来上がるまで待った。

乾杯する頃には、僕のグラスの泡はとうに消滅していた。

26: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:00:58.697 ID:wskujn4cM
「ねぇ、死にたくなくなりたいね?」

「それ、前から気になってたんですけどどういう意味なんですか?」

「生きてたら死にたいなぁってなるやん?全然そうならんかったら最強じゃない?」

「最強を目指してるんですか?」

「人の親やねんから最強でいたいやん」

吐き捨てるような「最強でいたい」だった。

27: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:02:01.258 ID:wskujn4cM
彼女はビールを一気に飲み干して

「テツさん! ターキーのロック、ふたつ!」と、またポケットからグチャグチャの千円札を取り出した。

28: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:02:47.231 ID:wskujn4cM
テツさんがボトルを用意し、僕は強制的に出された四十度のウイスキー飲んだ。

度数の高い酒で喉を焼く感触が気持ちよかった。

「いや、死にたくなくなりたいですね」

「なに、わかるん?」

「いつかはなれたらいいなとは、思ってますけど、今がどのくらいひどいかは、よく分かりません」

29: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:03:22.250 ID:wskujn4cM
彼女の意味不明さが僕にも感染っているようだった。

よく「関西弁は感染る」と言うが、これもそうなのだろうか。

でも僕はこの意味不明な言葉を吐く時間が好きだった。

外の世界では分からないことを言うと、分からないとされたし、整頓されている情報以外、無価値だったけど、ここでは通じない言葉は市民権を得ていた。

30: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:04:15.518 ID:9bKLoQuxM
「今どのくらいひどいんやろうなぁ」

「明日がそんなに大事じゃないぐらいですかね?」

「いや、わたし大事やし、あんたより全然マシやわ」

31: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:04:47.206 ID:9bKLoQuxM
「だから『そんなに』って言ったじゃないですか。それに明日大事なひとはこんな時間まで飲んでないらしいですよ」

「奢っといて、なんも知らん若い男にボロクソ言われて、死にたいわぁ」

「それ、なんかズルイですよ」

「クローズです」

僕の声に被さるように、テツさんの声がした。

32: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:05:56.889 ID:9bKLoQuxM
僕たちは一気にターキーを飲み干して、ほとんど同時に「ごちそうさまです」と言った。
ふたりとも声がガサガサだった。


扉を開けると、夜のまま止まってた時間が一気に流れ出した。

33: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:07:01.446 ID:9bKLoQuxM
まともな人々が会社や学校に向かう時刻だった。

さっきまで暗くて形しか分からなかった建物の細部、窓や屋根についているアンテナなんかが鮮明に見える。
「もう完全に朝やん。なんか、ちゃんとせなあかんなぁ」

「ちゃんとしたいですね」

「ホンマこの瞬間が一番死にたくなるわ」

「死にたくなくなりたいですね」

「コンビニでビール買ってくるけどいる?」

「いただきます」

34: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:08:28.441 ID:9bKLoQuxM
僕たちは缶ビールを飲みながら駅まで歩いた。

駅には僕たちが目指していることを達成したひとたちでごった返していた。

35: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:09:02.144 ID:9bKLoQuxM
「みんな、偉いなぁ」

「少なくとも俺らの千倍は」

「ちゃんとしたいなぁ」

「たぶん、いつか、できますよ」

「通用したいなぁ」

「いつか、しますよ」

「なんで人ごとやねん」

「だって俺違いますもん」

「違うひとはこんな時間まで飲んどらんやん」

「なんか……でも、中島らもみたいでいいじゃないですか」

36: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:09:25.890 ID:9bKLoQuxM
「せやな、らもみたいでええな」

「でもちゃんとしたらもになりたいですね」

「ちゃんとしたらもって、らもちゃうやん」

「らもに失礼ですよ」

「死んでるからええねん」

「死にたくなくなりたいですね」

「そうやねぇ」

彼女がそう言った瞬間、駅には列車が到着したようだった。

37: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:11:19.360 ID:9bKLoQuxM
車輪がレールに噛み付いて、金属がけたたましい悲鳴をあげる。鳴り続ける音がターキーみたいに鼓膜を焼いて、頭がズキッとした。

「なんか、もうこの先、しんどいな」

「大丈夫ですよ、たぶん」

38: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:12:10.904 ID:9bKLoQuxM
「なんでわかるん?」

「ずっと大丈夫じゃない保障もないじゃないですか」

「わかりにくいなぁ」

「この先、ずっと同じ毎日が続くなんてこと無いじゃないですか」

「それも、さびしいなぁ」

「むずかしいですね」

外の世界で通用しなかった人間たちが、誰にも通じない国語を使って、通用することに憧れていた。

あれらの言葉は僕たちの公用語だった。

通用しているひとたちの国の言葉よりも解像度はずっと低かったけど、でも僕たちはその曖昧さを手繰って、底の方で必死に息をしていた。


そして彼女の言っていた「この先」に来てみたけど、やっぱり同じ毎日は続かないと思う。

彼女の夜も僕の夜も、誰の夜だって朝になる。

40: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:13:40.436 ID:11zEfKrX0
いや乙だった

46: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:17:23.005 ID:9bKLoQuxM
>>40
ありがとうございます。

41: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:14:35.176 ID:9bKLoQuxM
おしまいです。
大阪にいたときの話を元に書きました。
ありがとうございました。

42: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:14:48.986 ID:1M0YC1q20
丁度ウイスキー飲んでて良いなと思った

47: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:17:52.902 ID:9bKLoQuxM
>>42
ウイスキーいいですよね。
アーリー、ターキーが好きです。

44: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:15:59.505 ID:9bKLoQuxM
別の日のことです。



大阪に住んでいた頃、毎日のように高架下で歌っていた。ストリートライブというものがやりやすい街だった。

ふつうに暮らしていたら会えないようなひとたちと出会った。

45: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:16:48.086 ID:9bKLoQuxM
よかった思い出もあるけど、飲んで、モメて、争って、借りて、奪って、奪われて、壊して、壊されてだって繰り返した。

僕も態度が良くなかったし、今よりも苦しかった。だから、むかしに戻りたいわけじゃない。

だけど、ひとにはそんな黒い歴史のなかでしか触れられないものもあると思う。

49: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:18:26.868 ID:9bKLoQuxM
僕もあの日の記憶を漁っていると、名前を付けられないような感情が蘇る。

「愛だった」とか「恋だった」とかありふれた名前を付けるには、あまりに軽薄に思えてしまう感情だ。

50: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:19:19.887 ID:9bKLoQuxM
あの頃はほとんどの時間酔っていたし、鮮明には覚えていないけど、忘れられないこともいくつかある。

あの日も僕は歌っていた。
阪急十三駅の東口と西口をつなぐ高架下の通路で、僕の歌声と通行人の笑い声が混じり合っていた。

日付けをまたぐ時刻から、二時間近く声を張りあげていたが、誰も聴いてくれなかった。

51: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:19:44.804 ID:9bKLoQuxM
もう今日はやめようと思った矢先に、ふらふらと歩いてくる女がいた。

後ろからオレンジ色のライトが差していて、顔はよく見えなかった。

52: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:20:13.404 ID:9bKLoQuxM
ひどく酔っ払らっているようだった。


明るい色の髪に、崩れた化粧は皮肉にも街にお似合いだった。

女は倒れこむように僕の前に座った。
そして通路を挟んだ反対側の壁にもたれて、トロンとした目でこちらを見てきた。

53: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:20:33.334 ID:9bKLoQuxM
「絡まれたらいやだな」と思っていたら、彼女はろれつの回らない舌先で「ねぇ、尾崎のI lovd youうたって」と言った。

酒の臭いが酷かった。

54: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:20:53.397 ID:nnzNJehzp
四天王寺の蚤の市通ってたけどいろんな境遇の人いてカオスだったわ

57: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:21:59.975 ID:9bKLoQuxM
>>54
変なとこには変な人がいますよね。
でも嫌いじゃないです。

55: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:21:12.704 ID:9bKLoQuxM
酔っ払いの絡み酒だとは思ったが、歌を誰かに聴いてもらえるのは嬉しかった。

たまたま僕も知っている曲だったので歌うことにした。

原曲のプレイキーは分からないけど、左手が疲れていて、バレーコードを使いたくなかった。

カポタストをはめて、簡単なコードで歌った。

58: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:22:34.013 ID:9bKLoQuxM
彼女はvodafoneの携帯電話をいじりながら、僕の歌を聴いていた。
袖から覗く手首には無数のためらい傷があった。

僕がそれに気が付いたときには曲が終わっていた。

59: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:23:03.091 ID:9bKLoQuxM
「けっこういいやん」と言い、彼女はパチパチと手を叩いた。

乾いた短い反響音が少し遅れてやってくる泡のような拍手だった。

なんだか、とても嬉しかった。

60: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:23:33.070 ID:9bKLoQuxM
「ありがとう」
「大阪のひと?」
「いいや、神戸。大阪には来たばっか」
「いいなぁ、神戸。おしゃれで」

僕たちは狭いダクトのような高架下の通路を挟んで、しばらく話していた。
それは人生に無かったとしても、絶対に困らないような不必要な会話だった。なのに損をしている気にはならなかった。

61: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:23:57.143 ID:9bKLoQuxM
しかし騒々しい街だった。
もう深夜だというのに何人ものひとが街にいる。遠くの方から、叫び声や笑い声も聞こえてくる。

62: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:24:24.874 ID:9bKLoQuxM
僕たちは綺麗とは言えない地面に座り込んだままだった。

ちょうど通路の端と端に座っていた僕たちのあいだを、次々と人が通り過ぎていった。

通過する人々の腰のあたりの目線で会話をしていると、自分たちが街の中で特別な存在になった気がした。

63: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:24:53.735 ID:9bKLoQuxM
「いろんなひとのこと見あげながら喋るのたのしいね」と彼女は言った。

「ミジメにならへん?」と僕は聞き返した。

64: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:25:40.094 ID:9bKLoQuxM
「ぜんぜん」
「そっか」
「ねぇ、なんでこんな時間にうたってんの?」
「早すぎると目立つやん」
「誰かに聴いてほしいんじゃないん?」
「聴いてほしいけど、多すぎてもいややねん」
「なに? ビビってんの?」
「たぶん。でも、そういうことってない? 欲しいねんけど、多すぎると怖いみたいな」
「あ、それならわかるかも」

65: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:26:05.530 ID:9bKLoQuxM
子どものときは暗闇を恐れていたのに、大人になると光を恐れてしまうのだから、おかしな話だ。

僕は必要か不必要か分からないアルペジオを弾きながら、彼女と話し続けた。

66: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:26:46.991 ID:9bKLoQuxM
本当に人生には無かったとしても困らないようなものが多い。このアルペジオが無かったとしても、僕たちの人生は絶対に変わらない。

とりとめのない話が続いた。


腰が痛くなったのか、彼女が少し姿勢を変えて口を開いた。

67: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:27:03.940 ID:9bKLoQuxM
「あんな、わたしの友達が彼氏にサンドバッグにされてんねん」

僕は直感でなんとなく、このひと本人の話なのかもなと思った。

68: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:27:30.799 ID:9bKLoQuxM
「その娘な、ずっと殴られてんのに、その男から離れられへんねんて。アホじゃない?」
「そうかな」
「自分やったら離れるやろ?」
「俺、男やから分からんけど、まぁたぶん」
「じゃあなんで『そうかな』なん?」

69: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:27:50.130 ID:9bKLoQuxM
そこまで話すと、彼女は手に持っていたペットボトルの水を一口飲んだ。

僕は彼女がそれを飲み干すのを見てから、アルペジオを鳴らしたまま口を開いた。

70: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:28:08.785 ID:9bKLoQuxM
「殴られたくはないけど、離れたくないんちゃう?」
「あぁ、それはそうかも」
「殴られるだけで離れなくて済むなら、離れへんってひともいるんちゃうかなと思って」
「たぶん……そうやわ」

71: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:28:34.047 ID:9bKLoQuxM
そこまで話して、彼女はうつむいていた。

僕はなんとなく、アルペジオの曲調を変えた。

しばらくして、彼女が眠そうな目をこちらに向けた。

「ねぇ、もういっぺんなんかうたって。できればお兄さんが作ったやつ」
「え?あんまりかもしらんで」
「いいねん。自分で作ったやつ聴かせてよ」
「そんじゃ新しく作ったの」

72: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:29:01.028 ID:9bKLoQuxM
ledという作ったばかりの曲を歌った。

音量も控え目で、聴き味も重たくならないように書いた歌だった。誰が聴くわけでもないのに、やけに細部までこだわって作った記憶がある。

73: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:29:18.903 ID:9bKLoQuxM
アルペジオのまま歌った。声が出づらかった。喋りすぎたからだろうか。
でも、今度は携帯をいじらずに彼女は僕の歌を聴いていた。猫のような目をして、大人しくしていたのが印象的だった。

演奏が終わって、彼女はまたパチパチと手を叩いた。泡が高架下の天井に跳ねては消えた。

74: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:31:24.816 ID:9bKLoQuxM
「けっこういいやん。尾崎ぐらい」

彼女は少し照れたように笑って、そう言った。

「みんなそう言ってくれたらええねんけどな」と僕は返した。

「そっか、一生けんめい作ってんなぁ……」

聞こえるか聞こえないかぐらいの声だったが、高架下のトンネルの反響のせいで聞こえてしまった。

独り言にもとれる言葉に僕は返答した。

「せやな。一生懸命作ったな」
「そっか……」

75: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:31:44.335 ID:9bKLoQuxM
それから彼女はもう一曲、あと一曲と繰り返した。僕も悪い気はしなくて、歌い続けた。このひとは自分が曲に込めたディティールを理解してくれるのだと思った。

気が付いたら、あたりはもう明るくなりそうだった。

77: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:32:25.519 ID:9bKLoQuxM
僕たちはなんとなく、太陽の下でこの時間を続けると、苦しくなってしまうような気がした。

人生に無かったとしても、困らないようなものを堂々と振りかざせる時間は限られているのかもしれない。

僕はギターをケースにしまって、終わりにした。

79: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:32:55.257 ID:9bKLoQuxM
「また別のやつできたら聴かせてな」

彼女はそう言って、僕と反対の方向に歩いていった。
バッグをクルクル回して、来たときよりもスッと背すじを伸ばして。

81: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:33:31.445 ID:9bKLoQuxM
気付いたら彼女の姿は見えなくなっていた。
なんだか、僕たちふたりの座標軸だけじゃなくて、他のものまで離れていくように感じた。

あの日以降、僕は彼女に一度も会っていない。
いつか会えると思って、毎日高架下で歌い続けたが、彼女はついに現れなかった。街のひとに聞いても、手がかりは何も得られなかった。

83: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:34:19.091 ID:9bKLoQuxM
だけど、僕はあれからずっと「別のやつ」を作り続けている。
分からないけど、僕にとって、それはとても意味があるようなことなのだと思う。きっと彼女との座標軸を近づけるよりも、大事な意味を持っている。

僕はたまに、まだあの狭い高架下に座っているような錯覚に陥るときがある。
ダクトみたいな通路で、誰も聴いてくれない歌を歌い続けているような気がする。

85: 名無しさん 2017/03/02(木) 03:34:46.318 ID:9bKLoQuxM
そして、また人生に無かったとしても困らないようなものに挟まって、「別のやつ」を作っている。

あのダクトにだって朝が来た。誰の夜にだってきっと朝が来る。

朝が来たら、バッグをクルクル回して、来たときよりもスッと背すじを伸ばして歩いていくんだ。


バーで会った子持ち女との話